ひらく世界唇同士が触れたのはほんの一瞬だった。 同じ造形をしたふたりが身を寄せ合っているさまは、まるで鏡を愛でているようだった。唯一その口許だけは逆方向に引き結ばれている。 「駄目、いけないことをしてるんだよ。ぼくたち」 仕出かしたことの大きさに目を見開いたノボリは、弟の肩を急いで押した。緩く押し返されて、クダリは渋々と温もりを手放す。 「他の人にばれなきゃいいんだよ」 「ばれたら、どうなるの」 「怒られちゃうし、嫌われちゃうかもね、気持ち悪がられるかもしれない」 ノボリは小さく、いやだ、と零し、クダリの手を握る。そんなことをされたら、ふたりで居られなくなってしまう。耐えられなくなって、自然をふたりが離れていってしまうかもしれない。 「クダリは、……怖くないの」 「ノボリといっしょならなんでもいいよ。ノボリは嫌なの?」 「ぼくはクダリが悪く言われるのが、嫌」 「でも、僕といっしょに居たいでしょう」 「うん」 「僕もだよ。だから、ふたりでうまあく隠れてればいいんだ」 「できるかな」 不安げな視線を受け止めて、まっすぐクダリは言う。 「できるよ。だってきみは僕のノボリだもの」 はにかんで、クダリはまた兄の唇を愛でた。 小さな頃戯れに交わした言葉を、ノボリは大事に抱えて生きてきた。 幼い頃からふたりはできる限りふたりきりの世界にこもっていた。彼らの間だけにある言葉で思い思いに愛情を伝えあっては、何も知り得ないまわりに対してささやかな優越感を積み重ねていった。この片割れは自分のものだし、自分のこの身は片割れのものだった。十年以上経った今となってもそれは変わることはない。ふたりはずうっとふたりきりでいたかった。ふたり以外の誰もが知らなければこの関係はなかったことにできるのだ。ふたりは、それぞれお互いのためとあらば、完全に公私を弁えることができた。 ふたりと数匹の閉じた世界だ。世界の外でどんなことがあっても、ここに戻ってくれば大丈夫。どちらかが慰め、愛してくれる。世界が幸せであればふたりは他のどんな理不尽にも耐えることができた。ふたりの幸せに相対も絶対もないが、少なくともそれを甘受するふたりの側からすれば、お互いがいることが最上の幸せで、できることならばパートナーたちが居れば満足なのだ。 ふたりはその世界を守ることに躍起になっている。ノボリはクダリ宛のメッセージや手紙をチェックすることに余念がない。もしもクダリに愛をささやく不届者があれば、ノボリは慣れない作り笑いを貼り付けて似合わない白いコートを着ることも厭わない。クダリは重い愛だね、とそれを揶揄っては黒いコートを拝借して仏頂面の練習をする。 本来発展してはいけない関係を歩んでしまったふたりに戻る場所なんてない。他人同士ならば関係が切れれば元の他人に戻って、望みとあれば顔を合わせなければいい。けれどもふたりは元の双子という関係には戻れないし、かといって全くの他人になれるわけもない。けれども完全に後戻りのできない崖っぷちだからこそ、ふたりはあらん限りの幸せを見出していた。それは永遠に続くゆるい幸せなんかではない。刹那に燃え尽きてしまう激しい劣情だった。 文字通り後先もなにもない関係だ。歩んできたレールは過ぎ去ったそばからどんどん崩れていってしまう。行く先もろくに見えやしないものだった。 ホームには人が溢れかえっていた。 仕事柄、事故に出くわすことは少なくない。鉄道員はバトルサブウェイとしての業務に加え、輸送手段としての地下鉄を支える業務も多かったため、命が絡むものに立ち会わなければならない。 帰宅ラッシュのなか、ホームの一区画だけブルーシートで閉ざされ、人だかりを逃れている所がある。緑色の制服が忙しなく行き来するばかりだ。 線路はペンキを撒いたように赤一色に染まっている。一部ホームにも飛び散った痕跡は斑模様を描いていた。犠牲者は駆けつけた救急隊の手で丁寧に回収されてあるようだった。 通勤ラッシュの乗客でごった返すホームで、細身の女性が転落した。白線の外側を歩いていたところ、ふとした拍子に誰かがぶつかり、細いヒールでは衝撃を逃がし切れずよろめいた。事故であった。愛するひとが慣性のままに線路へ吸い込まれていくのを救えなかった男は、しばらくホームの隅にうずくまって自失でいたが、耐え切れなくなってからは太い悲鳴をあげていた。ホームのざわめきを引き裂きながら、鉄道員に引き連れられていく。幸い犠牲者以外に重篤者はいない。念の為ポケモンセンターに連絡は済ませてあるし、管轄のジュンサーも呼んだ。女性にぶつかったと思しき男性は既に事務所に留まって貰っている。数メートル距離を置いて物珍しげに眺める人混みを尻目に、鉄道員たちは慣れた手つきで粗方の作業を終えたようだった。 緑色の制帽を被り直したノボリは、赤一色の線路を一通り洗い流して言った。 「私、貴方より先には死ねませんね」 ふたりの頭の中にはあの男性の叫びがこびりついている。剥がれない音を無理やり振り払うようにクダリはノボリの手をとった。 その晩、散々気が済むまで睦み合ったあとに、さも今思い出したかのようにクダリは零した。 「ノボリ、今日、僕より先には死ねないって言ってたでしょ。だけどそれは僕の台詞」 息があがっているけれど、ノボリの汗ばんだ素肌を撫で上げる手つきは穏やかなものだった。 「貴方の最期を見届けないと、私安心して成仏もできません」 「どうせ死ぬならふたりいっぺんがいいな。置いてくのも置いていかれるのも嫌だよ」 「そう、ですか」 布団のなかで戯れに睦言を交わしあったのも、彼らがまだ鉄道員になって日が浅い頃の話だった。ふたり揃って忘れては、ふとしたときにどちらともなく思い出す会話のひとつだ。 ふたりは時折、終わりを想定してあれこれ話しては、互いが抱える想いを言外に確認しあっていた。長らく共に縋って生きてきて、逐一愛していると宣言しなければならない時期はとっくに過ぎ去ったふたりの、歪んだ承認だ。そういう記憶の端にも残らない些細な言葉も、ふたりを繋いでおく大切な鎖だった。夜を共にするたびに、違った言い回しで新しく紡がれていく。 それだけ沢山の夜と言葉を共有していた彼らにも、決して明かさない秘密があった。 クダリはノボリに黙っていることがある。 もし僕らが離れなきゃならなくなってしまったら、まずはふたりだけで海へ行こう。できればなるべく風の強い晴れた日のサザナミタウンがいい。そしてふたりぼっちで崖から飛び込むのだ。もしかしたら知らないどこかへ行けるかもしれない。水底から続く場所が天国なわけがないけれど。ねえ見てよノボリ、海がこんなに荒れてるよと身を乗り出してわざと足を滑らせた僕の、その腕を掴むノボリごと海へ引き摺りこんでしまおう。本当は僕の最期をノボリに見届けて貰いたいけれど、意気地なしを遺していってしまっては僕はどこにもいけそうにない。逆もまた然り。だったらふたり一緒になって溺れればいい。そういう終わり方を、僕はしたい。 ノボリはクダリに黙っていることがある。 もしもどちらかがこの関係に飽いたり、続けられなくなってしまったとしたら、いつものソファでとっておきのワインを飲みましょう。私は素知らぬふりでふたり分のグラスに無色透明の糸を垂らすのだ。糸の先はきっと地獄に繋がっている。先にクダリが糸を手繰って、それから私も続きましょう。私の考える幕引きはそういう陳腐なものだけれども、どうか今生で最後のわがままだと思って、お気に入りのワインの口当たりがいつもと違っていても、気付かないふりをしながら、私に貴方の最期を見届けさせて欲しいのです。 ふたりの限界は思いのほかはやく訪れた。 決してふたりがふたりきりでいるに飽いてしまったのではない。サブウェイマスターにまで上り詰めてからというもの、まっとうに家庭を築く気配もない彼らの様子に焦れてしまった両親は、あの手この手で彼らに縁談を持ちかけ、結果としてふたりを引き剥がしにかかっていた。ふたりの関係を露ほども知らない人間たちは、度重なる縁談話を断り続けるふたりにだんだんと違和感を抱きはじめる。常識を外れたところで生きているふたりの周りには世話焼きの人間がいささか多すぎた。周囲から圧をかけられ、それらをかわしきるごとにふたりの世界が綻びていくのは、忍び隠れて生きるために万全を期していた彼らにとって耐え難い苦痛であった。自分には片割れがいるからそんなものは不必要なのだと、何度声高に宣言しそうになったかわからない。 ふたりが完全に追い落とされてしまった切っ掛けは、ふたりの元にそれぞれ届けられたサブウェイを管轄するお偉方の息女の写真だった。 最愛の片割れが、突然ふたりの間へ介入してきた赤の他人のものになってしまうのか。そんな結末になるくらいなら、綻びが明るみに出る前に、幸せなうちに世界を終わらせてもいいと思ったのだ。 まず先に動いたのはクダリだった。サブウェイの点検にかこつけて有給を丸一日、ふたり分申請した。何も言わないノボリに、もしかしたら考えが筒抜けになっていることを危惧しながらも、彼を海へ連れて行った。 クダリが思い描いたとおりのサザナミタウンの絶壁へふたりぼっちで向かう。眼下には鋭い断面を見せつける岩場があり、その隙間を荒波が縫って打ち寄せている。 背後から気遣わしげなシャンデラの鳴き声が二重になって聞こえた。できることならポケモンたちに死に際は見られたくないから、と家に置いてきたはずだったのだが、サイコキネシスでボールの開閉スイッチに細工でもしたのだろう。数時間差で孵った二匹は、ノボリとクダリがそうであるようにずっと寄り添っていた。 「クダリ、危険です」 ノボリの咎める声は、上っ面だけのものだった。クダリは一面に広がる海原を背にして立った。あと一歩でも後退すれば海に吸い込まれていってしまう、その距離にいる。 「ノボリ、おいで」 差し伸べられたクダリの手を、ノボリは僅かばかりの逡巡の末に、取った。 そのまま倒れこんで、真っ逆さまに落ちる。ふたりは果たして水のなかへ吸い込まれていく、そのはずだった。 荒く削り取られた岩に頭をぶつけてしまえればよかったのに。クダリは内心で鈴の音のように鳴いている彼らを恨んだ。シャンデラたちは伊達にサブウェイで鍛えられていない。その念動力は大人ふたりの重力を相殺する。そうして後からやってきたアーケオス、シビルドンと結託して、ふたりをやすやすと陸へ押し上げてしまった。この子たちの追跡を許して連れてきたのはやはり失敗だった。紫色の炎はごうごうと燃えさかって荒々しい。金色のガラスは怒りとも悲しみともつかない様子で瞬いていた。 「残念でしたね」 ノボリはいつになく穏やかに声をかけ、ひとしずくの海水にも冒されていない指先でシャンデラの硝子の身体をなぞった。 その日ふたりの食卓は珍しく沈黙に満ちていた。出来あいの惣菜をふたりで平らげて、ノボリはワイングラスを一組と、気に入りの銘柄のワインとを、引っ張り出す。そうして一旦キッチンに引っ込んで、キューブ状のチーズと共に、ソファで寛いでいるクダリのもとへやってきた。 ふたりがけのキャンバス地のソファにヴィンテージのワインは不釣合いだったけれど、クダリは変な顔ひとつせず、杯を受け取った。ノボリが手ずから二つのグラスにロゼを注ぐ。 「これ、お気に入りなんです。貴方も気に入ると、いいんですけど」 「ふうん」 クダリは興味もなさそうにルビー色の液体を眺める。合図もなく乱暴に乾杯すると、クダリはワイングラスに口を付け、その液体を口の中へ巡らせる。ノボリはクダリの喉仏が上下するのを見届けると、口を付けずにグラスをテーブルに置いた。 クダリの視界の端で、黄色が煌めく。 パチパチと電子が弾ける音がする。すかさずその口にモモンの実が放りこまれた。甘い果汁がクダリの口の中を洗い流す。保管庫から引っ張り出してきたのだろう。その背に抱えきれるだけの実をネットに包んで背負っているデンチュラが居た。その身体に隠れるようにしてラムの実の入った袋を引き摺っているアイアントと、外開きの扉につっかえてこちらに来られず右往左往しているイワパレスも居た。モモンでよかったなあと思う。ラムはあまり美味しくない。虫の知らせというやつだろうか、危機というものに虫タイプのポケモンたちは目敏かった。きっとワインに含まされた異物も察知しているだろう。 「残念だったね」 クダリの口許は自然と弧を描く。すかさずノボリの口へ甘い果実の欠片を押し込んで、グラスをくるくる回しながら目を細めた。二体のギギギアルの歯車が噛み合って離れる音は、ノボリに抗議するように部屋の中に響いていた。 ノボリとクダリのオノノクス、ドリュウズも、ただならぬ部屋の雰囲気にボールから飛び出して事の成行きを見守っていた。駄目になったワインは、耐性のあるダストダスが瓶ごと呑みこんで処分した。ふたりは気が荒くなったポケモンたちをどうにか宥めすかしてボールに収めたあと、いつものようにソファへ身を放り投げた。クダリは傍らにあるノボリを抱き寄せ、拒まれないとわかると首元にやわく噛みついた。ノボリは一瞬びくりと肩を震わせたけれど、許諾のつもりで縋るクダリの後頭部に手を添える。 「いいの?」 見えるところに痕を残さない。他人の目から逃れるため、ずいぶん昔に決められたルールだ。それを侵すことを、ノボリは手にかけそびれた男へ許可した。クダリは歓喜に震えながら舌先で肌をねぶり、時折ちゅうと音を立てて慣れ親しんだ肌へ吸いつく。きっとワイシャツでは隠しきれないところに。ノボリは息を詰めながら、ただクダリを宥めるように撫ぜるだけだ。 「ねえノボリ、愛してるよ」 「ええ、知ってます」 「きみは僕のことが大好きだもんね」 「……愛してます。貴方だけです。こんなにも愛しいのは」 日頃張りつめているはずの声は震えと弱々しさを纏っている。クダリだけに聞かせてくれる声だ。クダリは愛おしさを舌の先にのせて、首筋を這いあがる。 「僕もう耐えられないんだ。きみだけ居てくれればいいのに」 そうして喉笛をやわやわと甘噛みする。 クダリの声は怒りを滲ませていた。誰よりも自分を知っているノボリがいなければ意味がない。肩書きだけの女なんてこれっぽっちも必要ない。クダリがいちばん求めて止まない人間はノボリだけなのに。そんな気持ちを乗せて緩く歯を突きたてる。きっと噛み跡が残ってしまうだろうに、咎める声はない。クダリは拒まれないことに機嫌をよくして更に丹念に首を愛した。 くすぐったさの裏にじわりじわりと背筋を興奮が這い上がる。獰猛なポケモンのようだ、とノボリは思った。このままその歯が喉を噛み切ってくれたっていいとさえも。 「どうしてみんな邪魔をするの」 ホルダーに鎮座していたボールが怯えたようにカタリと震える。耳敏くそれを聞きつけたクダリは、ノボリを離さざるを得ない。もし序列を付けるとしたら彼の次に大切な家族だ。気が立っているのを抑えてデンチュラをボールから出した。ノボリは不服に思いながらも引きとめない。 「ごめんねデンチュラ。みんなも怯えちゃってるね。きみたちは何も悪くないんだ、むしろ僕らの命の恩人」 主人の変貌に戸惑うデンチュラをクダリは素手で撫でつける。帯電した毛並みはぱちぱちと小さく鳴った。青い大きな複眼はクダリの真意を探るけれど、曇り空のような鈍い色を暴くことはできなかったようだ。諦めてすごすごとボールへ戻るデンチュラに、クダリはごめんね、と小さく言った。 「ねえクダリ、私にも構ってください」 ノボリはクダリの薄い手のひらを捕らえて頬を寄せる。撫でてほしい。クダリがポケモンにそうするように、いつもノボリにそうするように。訴えるように、生温かい舌が手首に浮き出た静脈をなぞり、塩っけがノボリの舌を刺激する。薄い唇から這い出す赤い舌はクダリを挑発してみせた。 「くすぐったいよ」 「そうしているんです」 「どうせなら、ノボリもこっちにして。お揃い」 クダリは首元を明け渡す。 「貴方はほんとうにそこが好きですよね」 ノボリの声色には呆れが混じっていたけれど、素直に晒されたそこへ顔を寄せる。執着しているのはノボリも同じだ。 「ノボリは手首が好きだったよね。ねえ、首に痕つけてよ、そしたらこっち、舐めてあげるから」 ノボリの手指を焦らすようにぺろりとひと舐めする。 「私たち、ほんとうに仕様がないですね」 マーキングのつもりで、欲望を乗せて薄い皮膚を吸う。互いが互いのものなのだと誇示するその行為は、楽しくて愛しくて仕方がない。 「僕ら揃ってキスマークいっぱい。どうしようね?」 「隠す気もないくせに」 「ノボリだってノリノリだったでしょ。……いつもは、痕残すと怒る」 クダリは、ノボリがそれを許した意図を計りかねていた。探るように手首にキスをして見上げるクダリに、ノボリは目を細める。 「……もう、私、逃げ隠れするのは疲れたんです。あの子たちにも迷惑をかけましたし」 言いながら、ホルダーに据え付けられたモンスターボールの山を見る。ここから先は彼らにも晒してはいけない領域だった。 「ベッドに行きましょう、クダリ。もう、いいじゃないですか。二人揃ってこんなにたくさん痕を拵えて、指摘されたら言い逃れなんてできません」 狭いベッドの中、クダリはノボリに縋っている。ベッドサイドのランプだけが部屋の中の唯一の明りだった。ノボリは両の手首を眺めて、夥しく残された痕に、恍惚の息を吐いた。虫刺されという言い訳では効かないだろう。一通り汚されて、それから清められたノボリの身体は明け方までの僅かな時間、睡眠を求めていた。 「ノボリ……」 ノボリの胸にすっぽりと収まっているクダリの頭は、まだ水分を纏って湿気ている。その首元には執着の証が散っていた。どうせ数時間もすれば着替えてしまうのだけれど、ノボリは寝間着の上下を几帳面に着込んでいた。ノボリの胸元がクダリの髪の水分を奪ってしっとり濡れる。クダリは下だけ履いたきりで、布団を被ってノボリにぴたりと寄り添っている。クダリも放っておけば夢の中へ引き込まれていくことだろう。けれどそれは許さない。クダリがノボリの真意を待っているのだ。 「クダリ。例のお話、お断りしましょう、……きちんと理由を話して」 ノボリの腕の中で、温もりが強張る。そもそも、ふたりが揃って無茶をしたのは、逃れ難い見合い話が突然舞い込んできた所為だった。 「正気なの?」 声は恐る恐る、ノボリに尋ねる。 「もう、わたくしたちふたりきりの世界では居られないと、思うんです」 それは、ふたりと数匹で抱えて築いていた世界を明るみに晒すということだ。 「あんなに怖がってたのに、どういう風の吹き回しかな」 「わたくしたちを許してくれているあの子たちが、わたくしたちを生かしてくれた。こんなに嬉しいことが、ありますか」 「そこは僕のおかげって、言ってよ」 「何を拗ねているんですか……」 クダリは言いながらノボリの胸にぐりぐりと頭部を押しつける。ポケモンでもやらないような甘え方に、ノボリは破顔する。けれど、クダリの意図的に隠された表情を目敏く捕まえて、ノボリは身体をずり下げる。足がベッドからはみ出すけれど、気にしない。 片割れの顔と向き合って、ノボリは寂しげな目に語りかける。 「誰にどんなことを言われても、もう大丈夫です、貴方がいるから」 「……非難されたり、軽蔑されたり、気持ち悪がられるかもしれない。それでも僕と一緒に居てくれるの?」 探るようなクダリの目は、幼いころよりのノボリの不安をそっくり抱えていた。ノボリはそれに安堵する。初めてキスをしたあのとき、毅然としていたクダリにも、同じ葛藤があったことに。 「……貴方はだいぶ臆病になりましたね、クダリ」 「きみはずいぶんと鷹揚になったんだね、ノボリ」 からかわれたクダリは面白くない。 「大丈夫。どんなことだって怖くはないのです」 誰かに分かたれるつもりなんて毛頭ない。互いにそう確信できているのなら、それでいい。 かつてのノボリが恐れ、今のクダリが恐れる、露見による離別なんてあり得ない。ふたりと手持ちたちの世界は、どうあってもそれだけで維持できるものではない。いつか必ず明るみに出る日がくるのならば、自分たちの手で、納得したうえでばらしてしまえばいい。 ノボリはクダリの言葉を幼心にずっと抱えて生きてきた。支えられていた。これから何が起きても、それは変わらない。 「だって、私はあのときからずっと、貴方のものですから」 くすぐったく笑って、ノボリは片割れの唇を食んだ。 * 20130814 |