ポケスペのノボリさん×ゲームのノボリさんです。








ブラックアウト








 シングルトレインのホームでカナワへ向かう回送列車を見つめている。夜も更けて、環状線の最終列車が間もなくやってくる頃だった。ノボリはそれを待っている。
 ギアステーションが終点の電車を待つ者はノボリを置いて他には居ないはずだった。ホームに靴音が響く。
「環状線の最終で、一体何処へ行こうと言うのですか」
 空っぽのホームへやって来たのは間違いなく、ノボリであった。ノボリが二人、ホームに居る。
「わたくしは何処へも行きませんよ」
「あなたは嘘を吐くのが下手ですね」
 今にも逃げ出しそうな顔をしています。暗闇に居る猫のような鋭い眼光が、ノボリを真っ直ぐに見つめている。目を逸らすことなく、ノボリは青年へ向けて言った。
「お待ちしておりました」
「わたしもです」


 ノボリは同じ顔の青年を連れ、繁華街の裏路地へ足を向けた。黙ってノボリの隣を歩く彼は、あなたもこのようなところへ行くのですね、と斜め上にある横顔を見つめた。
「貴方こそ。少しも動じていないじゃないですか」
「わたしを何だと思っているのですか」
 む、と薄い眉を寄せる。彼もノボリと同じ兄ではあるけれども、ノボリとこの男を隣に並べては年嵩が張っているように見えるのはノボリの方に違いなかった。普段弟を窘めるその言動にはどこか子供のじゃれ合いのようなものを感じていた。けれども彼はそのイメージとは異なり、初心でもなんでもないらしい。ノボリよりもやや劣る彼が、見ず知らずの女性を携えてこの道を歩いている姿を想像した。しながら、階段を下りていく。入口が半地下のそこは一見なんでもないビジネスホテルのようだ。けれどもビジネスホテルの受付は厳重に目隠しされていたりしない。ノボリが受付で最低限の会話で手続きをしている間、小さな男は黙したままでいた。声を上げなければ決して分かりはしない。男同士で、それも同じ造形の人間同士で、こんな時間、こんな場所に来ていることなんて。
 5階でございます、と受付の女は言った。
 ノボリはカードキーを受け取ると、エレベーターへ向かう。男も半歩遅れてついてきた。上向きの三角形のボタンを押すとすぐにドアが開いた。二人は滑り込む。ドアが閉まって完全に密室になった途端、ノボリは硬い鉄の壁に押し付けられた。不意を突かれた。ノボリの切れ長の目が丸くなる。男はそんなノボリを声もなく笑うと、少し背伸びをして、薄く開いている唇の隙間に舌を捻じ込んだ。
 ノボリは一瞬目を見開いた。男が強引なのは最初ばかりだった。ノボリの下唇を吸い、舌を甘く噛み、甘え甘やかすような口づけに、ノボリは目を閉じ、少し背を屈めた。ふわりと身体が宙に浮いたような心地がしたのは、エレベーターが五階まで辿りついたせいばかりではない。場にそぐわない明るく間抜けな音が機械から発せられ、青年は渋々ノボリを解放した。


 部屋に入るや否や、先にシャワーを浴びてきてはどうですか、と男は紳士ぶってノボリへ勧めた。準備もあるでしょう、と顔色を一切変えずに言うものだから、ノボリは軽口を叩くことも出来ずに素直に応じた。今は彼が入れ替わりで身を清めているところだ。
 二人がこうして夜を共にするのは、まだ二度目だった。
 一度目は、酒に溺れたノボリを見かねて拾った彼が持ちかけた。二度目はノボリから誘った。
 ノボリは別段、彼、もう一人のノボリに特別な執着は抱いていない。むしろノボリが懸想して止まないのは、ノボリの片割れのクダリであった。自分の道ならない思いがどうしようもなくなってしまったとき、丁度ノボリの肩を抱いて慰めてくれたのが彼であったというだけで。しかし誰でもよかったなどと言うつもりはノボリにはない。この男だからこそ、だった。だって彼は、ノボリと同じ、ノボリなのだから。ノボリ同志で慰め合うことは、ノボリの心にある感情と両立し得る行為だった。
 ノボリにとって、これは一時の避難のようなものだ。
 申し訳程度に羽織ったバスローブが、髪からじわりと滴る雫を吸い込む。キュ、と蛇口を締める音が聞こえた。青年も風呂から上がったようだ。
 手持無沙汰にベッドへ腰かけていたノボリの傍らに、青年が座る。水を吸って束になっているノボリの短い髪を悪戯に梳く。そのまま指は頬を撫でていく。互いに水分を吸ってふっくらとした肌は、驚くほど馴染んだ。
「そちらのクダリは一体何をしているのでしょう、こんなにもあなたはクダリを求めているというのに、気が付かないだなんて」
 指先はノボリの唇へ移る。薄く、けれどもたしかに柔らかい感触のあるそこを、短い爪先で擽っていく。
「いいえ、気が付いているのですよ。貴方がわたくしの虚ろを見透かしたように、わたくしのクダリだって」
 ノボリは青年の手を咎めるように、けれど優しく払った。彼はそれでも動じることなく、ノボリとの距離を詰め、触れるばかりのキスをした。ノボリは拒むことなく、柔らかい唇を受け入れる。至近距離で見つめるその目はノボリの真意を量ろうと真っ直ぐに見通していた。
「叶わない恋は、辛くはありませんか」
「これは恋なのでしょうか」
「あなたが乞うているのならばきっと」
 大真面目な顔をしている男にノボリは一瞬きょとんとして、張りつめていた息を少し吐いた。
「……随分な台詞ですね」
「言葉遊びはお嫌いですか」
「いいえ、新鮮で。わたくしのクダリは決してそのようなこと、口走らないものですから」
 ノボリには片割れの影が常に見え隠れする。それが、ノボリへ焦がれている男の、ささやかな闘争心を少しずつ煽っているのにも気づかないでいる。自分よりも少し目下にある男の顔。年下のこの青年が、自身と立場を同じくする統治者であるということを、人一倍の闘争本能を持った男だということを、ノボリは忘れている。
「わたしはあなたのクダリではありません。それでもよろしいのですか」
 一度目はまだ過ちで済む。しかし二度目はもう誤魔化せない。青年は静かに心の内で嫉妬の炎を燃やしながら問うた。構いません、と、呟いたノボリの声に迷いはなかった。
「どうかわたくしを帰さないでください」
 ノボリは男の太腿へすっと手を添え、縋る。自分よりも少し体温の高い男を求めてのことではない。自分のままならない心が明るみになるのを恐れてのことなのだ。
「ええ。忘れてしまいなさい」
 節の目立つ細い指を、男の白い手が掬い取った。幼子をあやすような穏やかな声、その主は大きな三白眼を細めて微笑む。口の端が描いた笑みは緩く穏やかな弧を描く。
 ノボリが片割れから顧みられることがないのと同様に、この男だって決してノボリに振り向かれることもない。そんなところまで二人はそっくりだと、だからこそ慰め合うにはうってつけだと、ノボリは思っている。
「貴方にはもっと、相応しい人が居ますよ」
 ノボリは呟くと目を閉じる。傷ついた男の顔は想像に難くない。言葉が返ってくるかわりに、乱暴に唇を塞がれた。そのまま肩を晒し、ひと時のばかりの温もりに身を委ねる。心地よい。


**


 青年はノボリを好きに慈しんだあと、シャワーを浴びることも億劫になったようで、好きに乱したシーツの上で暫く微睡んでいた。
 ノボリはじくりじくりと痛みに疼く半身を労るようにしながら、熱いシャワーを浴びていた。与えられた熱を、降ってくる熱で上書きする。どこもかしこもばか丁寧に取り扱われたこの身。早く忘れなければ心が勘違いしてしまいそうになる。自分と同じ名前と、ほとんど似たようなパーツで構成された顔とを持ったノボリという男は、ノボリへ心地よい熱を与えてくれた。一度ならず二度も。思い出してはいけない。得た熱の分だけ、身体が熱くなった分だけ、心は虚しくなってしまう。どうしてこんなことをしているのだろうか、とか、どうしてこんなにも心地よいのだろうか、とか。一人で居ては思考の波に呑まれてしまう。
 シャワーを止め、大きなタオルで大雑把に身体を拭った。髪に滴る水滴は据え付けの安いドライヤーでおざなりに乾かす。身体中に散らされた赤いしるしが、鏡に映し出される。猫の甘噛みでは済まされなかったようだった。
「ノボリ様」
 うつ伏せで微睡んでいた青年はベッドへ舞い戻ってきたノボリを見とめ、そうして手を伸ばした。素直に応じると、手がほんの少し強引に曳かれる。ノボリの身体は柔らかいマットへ預けられた。先程まで背中を預けていたシーツに、今度は胸を預ける。ノボリの心のように、ひどく乱れていた。案外抱き心地のいい枕へ片頬を埋め、隣で草臥れている青年を見遣った。
 静かに二人の目が合う。青年はノボリの首元にくっきりと残る鬱血痕を確認し、目だけで笑う。そしてノボリの片頬へ指を滑らせた。
「あなたはもう諦めておられるのではないですか」
 子守唄のように優しく紡がれる言葉と、指先の心地よさに、ノボリはうっかり聞き逃してしまいそうになった。
「……何を。諦めると言うのでしょう。わたくしは何も、望んでいません」
 間接照明の照らし出す薄暗い空間であっても、青年は間近にあるノボリの表情を見逃すことはなかった。何も望まないと言ったその目に浮かぶ感情は、諦念だ。言葉はだるく穏やかに紡がれる。そのノボリの仮初めの余裕を、青年は突き崩したかった。
「そちらのクダリのこと、」
 ノボリの眉間に皺が寄る。その些細な変化も、ノボリの傍らで身を投げ出している青年は見逃さない。
「……今、貴方と居るのは他でもないこのわたくしです」
「先程その名前を出されたのは、ノボリ様、あなたですよ」
 窘められてノボリは口をつぐむ。この男は、思いの外嫉妬深い。
「諦めたなんてばればれの嘘を」
「……貴方はそう思っていればいいでしょう」
 薄い掛け布団を伴って、ノボリは青年に背を向けた。苦し紛れの台詞に青年はくすりと笑い、まだシャワーの熱の残るノボリの素肌を包み込む。自分の肌の熱をノボリに知らしめるかのように、ノボリのしなやかな背中へ青年の肌が合わさった。
「わたしは諦めません」
 熱と共にノボリの耳元へ降りてきたのは、真っ直ぐな言葉であった。
「わたしは、あなたを諦めません」
 真摯な言葉はノボリの逃げ道をじわじわと塞いでいく。唯一晒されたノボリの耳元へ、男は畳みかける。
「どうかわたしの許を選んではくれませんか。一時の避難所ではなく、わたしの許にずっと留まって欲しいのです」
「貴方がわたくしのことをどう思っていようと、関係ありません。……貴方でなくとも、よいのです」
「ならばそちらのクダリでよいではありませんか」
 青年は顔色ひとつ変えずに言った。ノボリの表情に浮かぶ諦めの色が一層深くなる。
「……それはありえません」
「ではわたくしのクダリならば。あるいはもう一人のわたしや、クダリなら。どうでしょうか」
「……是非もありません」
 やや確信を持って答えたノボリの言葉に、青年は心が満たされていくのを感じていた。
「素直になったらどうですか。あなたははわたしを選ぶほかないのです」
 ノボリの目に逡巡の色が見えた。
「…………わかっております。あなたを選ぶほかないと。これ以上は、ないのだと。しかし、」
「しかし、……何が、不安なのです」
 たっぷりと間をもって、言葉は発せられた。
「ノボリ。貴方は、片割れを選ばないということが、怖くはないのですか」
 ノボリを抱き留める青年は、目を丸くした。ノボリが恐怖を口にするのは、ひどく珍しい。今晩は相当滅入っているということだ。そんなときに傍らで一晩を過ごす相手に選ばれたことを、青年は心から歓喜した。
「何を恐れるのですか。それとも、わたしたちは恋人にクダリを選ばねばならないという決まりでもあるというのですか」
「そんなことはありません、が、しかし、」
 ノボリの腹へ回された腕は、情事の名残を欠片も匂わせずに、無表情に肌を撫でている。言い淀んでばかりのノボリに、青年は諭すように語りかけた。
「ノボリ様は、自身の言葉にとらわれ過ぎているのだと、わたしは思います。二両編成。素晴らしい言葉です」
 ノボリの内を、暴きたい。物理的に暴くことは簡単だろう。けれども青年が求めるのはそんな即物的なものではなかった。暴きたいのは心だ。彼が言葉にすることなく、腹の底へ溜めて蟠っている感情を引き出すことは、どんなバトルより難しく、そして胸躍ることであった。
「けれどそれに固執しなければならないほど、あなたは弱くはないはずです」
 ノボリとクダリは一対の存在であるように育てられ、二人もそう望んで育った。ノボリはクダリへの感情を、ずっと恋だと思い込み、そうして苦しんでいる。ノボリの感情に一切応じることなく、健やかに育った片割れは、ノボリの後ろ暗い感情を明け透けに照らし出す。ノボリはずっとそう感じてきた。二人でいなければ、双子のサブウェイマスターでなければノボリの居場所は他にどこにあるというのだろう。
「あなたのその想いは、恋愛感情なんかでは、ありません」
 そんな生易しく温かいものではなく、もっと深く暗く冷たいものです。
 青年に言わせてみれば、ノボリが片割れに抱くのは、愛情を乞うそれではない。ノボリは気丈なようでいて、案外身の置き所を決めかねているような、脆い男なのだ。片割れがいなくては、自身を対称に映し出す片割れがいなければ駄目になってしまうと、強迫観念に囚われている。片割れと一対でなくてはならず、そして片割れと決定的に異なっていなければならない。ずっとそう思って生きてきたのだろう、いざ恋だ愛だを考えるときになって、自分の中に最も大きく占めるその感情を恋だと勘違いをしてしまったのだ。恋ではないものを恋と思い込み、そして片割れに愛情を乞い、見透かされ、拒まれた。心に起こった齟齬にノボリは苦しめられている。
「では、わたくしのこれは、この気持ちは、何なのでしょう」
 愛情でも憎悪でもない、片割れへの薄暗い感情。それはきっとノボリの根幹を作り、そしてときに揺るがすものなのだ。片割れがいなくてはいけない。けれど片割れがいては苦しい。ノボリはそれに生真面目に向き合って板挟みになっている。
 思いのほか器用ではないのだな、と、青年はノボリの苦しみを同じノボリゆえに見とめ、そうして興味を抱いた。青年はもちろん、もう一人のノボリだって弟との折り合いをつけ上手くやっているというのに、どうしてこのノボリは、こんなにも苦しそうなのだろうか。
 青年は、救ってやりたいと思った。また救われたいと思った。同じノボリにしか、この感覚は分かり得ない。出来るのは自分を置いて他にないのだ。
 青年はノボリに憧れていた。ノボリのように完璧なサブウェイマスターに成りたいとずっと願っていた。憧れゆえに、ずっと見つめていた。だから知っている。ノボリがクダリへ向けている視線の色が、恋のそれではないことなんて。
 初めてノボリと寝たその日、青年はノボリへの感情に憧れとは違うどろりとした情念が足されたことを知った。
「ノボリ様」
 二人を覆っていた布が男の手によって取り払われる。ノボリから離れた青年は、身を引いてノボリの肩を力強く引いた。ノボリの背中は、再びベッドへ預けられる。
 ベッドの傍らの明かりが、二人の白い肌を照らした。その眩しさから逃れるように、ノボリは目を細める。その端からひとしずく、熱を持った水が流れ落ちる。雫を拭いノボリの目を柔らかく覆ったのは、青年の手だった。
「わたしには分かります。あなたのことが。そしてその気持ちが。わたしにしか、わからないのです」
 突然のことにノボリはびくりと肩を揺らしたけれど、その手を決して拒みはしなかった。
 僅かな灯りでさえも青年の存外大きな手に阻まれる。暗闇のなかで、青年の甘い毒のような言葉が、ノボリの耳へ溶かし込まれた。それはノボリを絡め取るための呪文だ。
「あなたは、助けて欲しいのでしょう。わたしなら、できます。あなたと同じ、ノボリですから」
 青年は、薄く開いたノボリの唇を塞いだ。








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20140525
スペノボさんの一人称がわたしなの、すごくかわいいと思います。でもスペゲーノボノボがいちおしです。