逃げてしまいたいノボリさんのはなし  






 進学の都合でそれぞれジョウト、カントーへ移り住んでいたノボリとクダリは、バトルサブウェイへの就職が決まったのに伴って同居することとなった。20も過ぎた身であるが、ふたりが別々にワンルームに住まうよりかは安いものだ。けれども長らくの一人暮らしへ未練がなかったわけではなく、ふたりで構えた新居はなるべく個室の多いものとなった。双子だからといって、ノボリとクダリは別々の生き物である。寝室まで同じでは気が休まらない。ノボリが半ば強引にその主張を押し通し、ふたりには個別の寝室があてがわれた。クダリには渋られたが、弟と自分をできるだけ引き離しておこうと必死だった。職場でも家でも全てを共有しっぱなしでは、弟に押し切られてしまうのが目に見えていたから。結局その目算は甘かったのだが。
 ノボリとクダリがお互いに家族以上の感情を向けあっていたことがわかったのは、10代も半ばの、思春期に振り回されていた頃だった。そうでなければ、――たとえば、ある程度分別のつく、今頃であれば――ノボリとクダリが想いを確かめあって恋人のようなことをすることはなかっただろう。思い返せばいちばん屈託なくクダリと笑っていられたのはこのころまでだった。そうして不安定な思春期が終わりに近づくと、ノボリは急に怖くなった。とっくに身体の内まで晒しあったくせに、どうにか後戻りできないかと足掻くようになった。だからクダリがカントーのタマムシへ進学すると決めたとき、ノボリは意図的にそこを避けてジョウトのエンジュへ滑り込んだのだ。4年という期間がお互いの熱を冷ましてくれるだろうことを期待して。けれどもクダリは長期休みのたびに旅行をしているような性質で、イッシュとカントーとの距離に比べれば、ジョウトとカントーとの距離なんて彼にとってはほんの目の先鼻の先であった。ましてや、ヤマブキとコガネの間にリニアなどできてしまえばもう。ノボリの計画も虚しく、大学を出てライモンに戻って就職するまでずっと、ふたりの関係は続いていた。ノボリだってはっきりとクダリを拒めるほど醒めきってはいなかったし、家族とは違った意味合いで片割れを愛しているのをきちんと自覚していた。



 テーブルに簡単な夕食が整えられる。食事と洗濯・掃除の当番は一週間ごとに交代していた。今週はクダリの番だ。パスタの上に胡椒を振って、全てが完成する。
「はい、出来たよ。コーヒーは飲む?」
「はい、今晩は」
 明日は、ノボリもクダリも休日である。ノボリの答えにクダリはくすぐったそうに目を細め、お互いのカップに角砂糖をふたつ溶かした。
 ノボリもクダリも、料理の腕はそうそう変わらない。違うことといえば、ノボリが見た目に拘らないぶん、クダリは飾りつけや食器にも拘るほうだった。今夜のパスタも食用花なんかが飾られていて、余程気合が入っていると見える。その気合の原因に心当たりがあるノボリは、クダリの期待の目に気付かないふりをしてピンク色の花弁を食んだ。
「片付けは私が」
 クダリの目線が口元に這うのを感じて、コーヒーをひと思いに飲み干す。そうしていそいそと皿をまとめて席を立った。
「ノボリ、今夜は僕の部屋、ね」



 若いころ、それこそ学生の頃は会うたびにベッドで共に夜を明かした。少なくとも月に一度はお互いの部屋を行き来していたように思う。けれどもひとつ屋根の下に暮らしている今、顔を合わせるたびに抱かれてはおかしくなってしまうだろう。ノボリもクダリも性欲は強くないほうだ。就職して昇進して、忙しさに輪がかかればそれだけふたりが共有できる夜は減った。だから、お互いに休日が重なる前の晩は、自然とセックスをすることになった。そういう日の夜には、食事は少し手が込んだものになるし、ノボリは普段コーヒーを飲まないのに、食後クダリの淹れたコーヒーを飲む。いつからか、それこそ学生の頃からそうだった。明文化されていないけれど、そういう合図なのだ。
 だからノボリは逸る心臓を抑えようと、冷水で泡を洗い流す。どんな風に扱われるのかは想像に難くない。あまり想像を深追いすると顔に出てしまうから、極力手元に集中した。どれだけ素っ気なく振る舞おうとしても、拒まないということは、そういうことだ。ノボリの冷静さも、クダリには照れ隠しだと揶揄されてしまう。そういう風に見えていることが、クダリを付け上がらせるのだ。当のクダリは、お風呂先に入るね、とそそくさと行ってしまった。



 クダリが出てからすぐ、ノボリは浴室へ避難した。うかうかしていては、クダリに「準備、手伝おうか」なんて浴室へ連行されてしまう。ふたりのセックスはいつもノボリが受け入れる側だった。身も蓋もないが、今夜のことを承諾してしまった以上は下準備というものがある。ある種の虚しさと期待とを伴った行為を、ノボリはぼうっとしたまま全てを終わらせた。身体を簡単に拭いて、衣類と使ったばかりのタオルを機械へ突っ込み、洗濯を始めておく。手持ちたちとじゃれあうクダリの笑い声が脱衣所まで響いてきた。どうせすぐに脱いでしまうのだが、ポケモンたちの目もあるので一応寝間着を着込む。
「クダリ、先に寝ていますよ」
 リビングでデンチュラに圧し掛かられているクダリへ声をかけて、ノボリはひっそりと自室に引っ込んだ。後を追ってクダリが彼の部屋へ入っていったのを、扉の閉まる音で確認してから、ノボリは意を決して自室を出た。クダリの部屋で彼を待っているのは少々気恥しい。クダリの部屋のドアを控えめに2回ノックし、薄暗い部屋へ入る。
「ノボリ、おいで」
 クダリは自分のベッドへ腰かけ、隣をぽんぽんと叩いてノボリを呼び寄せる。俯き加減でノボリはクダリの隣へ座った。机の上にあるカレンダーは、今日の日付に赤く印がつけられていたのだが、ノボリは見ないふりをした。部屋には沈黙が満ちている。黙ったまま、ノボリはクダリへ向き合うタイミングを伺っていた。あわよくばクダリから仕向けてはくれないかと。期待に反して何も手をつけてこないクダリに焦れ、自分の鼓動がうるさくなりはじめてようやく、ノボリは落としていた目線をクダリへ向けた。同じ顔がいつもよりずっと深く優しい笑みをたたえていた。どちらともなくキスをしながら、ベッドへ優しく倒される。絡むクダリの舌の温度はいつもより高い。疲れているときはいつもそうだった。繁忙期を終えてようやくふたりで得られた休みなのだ。これからクダリにどのように絆されるのかを想像して腰の奥が甘く疼いた。



「指、入れるね」
 手の中で温めたローションを長く骨張った指に絡めてクダリは笑う。クダリはゆっくりゆっくりとノボリの中を拓いていった。違和感は拭えないが、それも我慢できる程度だ。痛みもそれほどない。身体を重ねるのに慣れてしまうとそういう使い方をしてはいけない後ろも、ほんとうに性器と変わらないのだ。慣れとは恐ろしい。それもこれも、まぐわうたびにクダリがせっせとノボリの中を馴染ませていったからだ。お互いの欲に任せた乱暴なセックスはついぞしていない。その向う見ずさが欲しくなるときもあった。最後に酷くされたのはいつだ、と、やましい回想と与えられる刺激に呼応して、中がひくついた。そこを咎めるように、クダリの指が内側をなぞる。
「んんっ……」
 ただひとつ救いなのは、ゆるやかな刺激のおかげでそうそう酷い声をあげないことだ。それも理性があるうちだが。それを知っているクダリはノボリをできるだけ慣らし、その理性をゆっくりと、けれど着実に剥がしていく。長年体を繋げ合ったおかげで、クダリはその手管に長けていた。どろどろにされてしまったノボリは、戻ることはできない。
 大事にされて、いる。ノボリにとってクダリとのこれは、自分がいかに片割れからの寵愛を受けているのかを感じるための行いだ。自分が乱れれば乱れるほど身を奮い立てて喜ぶ弟の姿に、ノボリは安心する。
「あっ」
 吐息で逃がしきれない声が漏れた。高い声を耳聡く拾ったクダリは意地悪く笑う。
「ここだね」
 ぐ、と指の腹でぐずる壁を押す。ノボリのいちばん好きなところを。性感帯は何年も前に粗方暴かれてしまった。胸の奥が詰まって、呼吸で声を誤魔化せなくなる。刺激に答えるように、意味のない音ばかりがノボリの口からぼろぼろと零れ落ちた。
「う、……あ。あぁっ」
 いちばん感じるところを容赦なく暴かれる。背中を這いあがる刺激にノボリはシーツを掴んで悶えた。足の指がじれったそうに結んでは開く。
「あっ……そこばかりっ、駄目、です」
「じゃあ、やめようか」
「ずるい、ですよ。ん、抜かないで……」
 後ろから抜けていくクダリの指を、意識して締め付ける。空調の音だけが響く静かな部屋のなかで、クダリが喉を鳴らす音がやけに響いた。
「ずるいのは、そっち」
「っああ……! 嫌っ、あぁ……あ」
 獲物を狙うように目を細め、クダリは最後にそこをひときわ強く押して指をゆっくりと抜き去ってゆく。内側を撫ぜあげながら孔から出ていく指に、ノボリは甘い声を惜しげなくあげた。クダリには決して言わないが、ノボリは指を抜き去られる感覚がたまらなく好きだった。指でかき混ぜるたびにクダリは焦らすように指を抜く。ノボリの中を爪で傷つけないためだよ、と以前クダリは笑ったが、きっと彼のことだからノボリの身体の震えも見抜いているのだ。甘やかに、されている。
「本当に欲しいの、こっちでしょう」
 クダリは自分のスラックスとボクサーパンツを乱暴に下げ、勃ちあがっているそれを片手間に扱いた。十分な硬さを持たせてから、ノボリに見せつけるようにゴムを被せる。喉を鳴らしたのはノボリのほうだ。
「……はい……」
 意図しなくとも、ノボリの表情は溶けきっている。興奮で赤の差した肌はノボリが発情していることをクダリへ如実に伝えた。入口へひたりと沿う熱に、ノボリは息を詰めた。
「く、ぁっ、んん゙ぅ……ん」
 指よりもあつく太いものがノボリを暴く。その瞬間、ノボリの表情を全て記憶に収めようするクダリに余すことなく見つめられては、ノボリは背筋を伸ばしてキスをせがむしかできない。痛みはキスで紛らわせ、吐く息をすべて奪い合った。



「っは、全部、入った……」
 ノボリの身体が慣れるまで待ってから、クダリはゆっくりと抜き差しを始める。もどかしい刺激にノボリの腰がゆるゆると焦れる。もう足りないの、と笑うと、ノボリの頬がまた赤くなった。こんなに相性のよい相手に出会ったことは終ぞない。自分と同じ身体を拓くことがこんなにも楽しいだなんて。息を荒げて腰を深くまで押しこんだ。恋人を組み敷く喜びと、絶え間ない快感がクダリを満たした。本当はこんな薄い膜なしに繋がってしまいたい。けれどもいろいろな理由をつけてノボリが拒むのだから、クダリにその願いを聞き入れないという選択肢はない。無体を強いているという自覚はあるのだから、ノボリにはせめて快感だけを求めて欲しかった。
「あの、あなたにばかり、準備をさせて、しまって。ごめんなさい……んっ」
「いいんだよ。好きで、やってるから!」
 クダリが欲しい言葉はそんな口ばかりの謝罪ではないのに。クダリはむっとして中のものでノボリの性感帯を押しつぶした。聞きたくない言葉は嬌声に変えてしまえばいいのだ。ノボリの極まった高い声が部屋を満たし、クダリの耳を楽しませる。口元はますます深く笑みを刻んだ。
「かわいいっ……ノボリっ……」
 涙と涎で顔を汚しながら、身も世もなく喘ぐノボリの姿が、クダリは一等好きだった。その瞬間、何も考えられなくなっているノボリを満たすことができるのは、クダリただ一人なのだから。
「クダリ、くだりっ。もう、……!」
 舌足らずに呼ばれて、もうクダリの我慢も効かなくなる。優しくキスを落とすとクダリは動きを速めた。こちらも限界が近づいていた。
「ノボリ、ノボリ。あいしてるよ」
 ぎしぎしとわななくベッドから、クダリのライブキャスターが落ちる。指通りのよいシーツの上を、するりと。あまりに自然に落ちたものだから、ノボリもクダリも気がつかなかった。



 ふたりで眠るときは必ずノボリのほうが先に目を覚ます。床に落ちながらも健気に時を刻んでいたライブキャスターを拾い上げ、夜明けまでまだ余裕があることを知る。隣のぬくもりはすうすうと穏やかな寝息を立てて眠り続けていた。
 セックスが終わった後の諸々は、クダリがいそいそと済ませてくれたようだ。疲労と痛みと、余韻のせいで碌に動けなかったノボリの代わりに。一人分のベッドを大の大人ふたりで使うには、ぴったりとくっついて眠らなければならない。目の前にあるクダリの髪を、起こさないように気をつけながら、労いをこめてゆっくりと梳く。寝息はそれでも規則正しく続いていた。最中はあれだけ無体で獰猛になるクダリも、眠っていればこんなに大人しく愛らしいのに。
 何年も前の昨日、ふたりは兄弟から恋人になった。昨晩ずっと、ノボリは敢えて何も言わずにいた。細かな記念日を好んでいたクダリがきっと小さく失望することをわかっていながら。愛の言葉以外で最中に水を差したのも、クダリがそれを嫌がるのを知ってやったことだ。
 このままではいけないのだとノボリ自身よくわかっている。疎いふりをしているクダリも、禁忌に禁忌を重ねているということは重々承知のうえであった。
 建国の英雄の話をはじめとする神話が多く残るイッシュでは、そこ記述のない同性との関係は未だマイノリティでしかない。バトル事業というほとんど公職といっていいものに従事して、あまつさえ現場の責任を全て負う立場でもある。メディアに露出する立場の彼らが、世間の穿った常識を外れるわけにはいかなかった。さらに輪をかけてふたりを追い詰めているのは、ふたりの存在そのものだ。近親相姦という言葉は、それが禁忌であるということを露骨に彼らへと伝える。関係を持って間もないころは、それでもお互いにはお互いしかいないのだと、胸を張って罪悪感を撥ね退けることができた。その罪悪感を背徳感に変えて、行為を楽しんでいたのも確かである。しかし、それで乗り切ることができる時期もとうに過ぎてしまった。
 梳かれている髪が心地いいのか、クダリは長く寝息をついたあとに身体をノボリへ寄せる。
 クダリの唯一であり、彼を守ることのできる唯一の存在である自分。愛する兄弟の可能性をこの身で縛りつけている自分。ふつうの、世間でいうようなふつうの幸せへ向かう道を閉ざしているのは他ならぬノボリだ。けれどもノボリを苛んでいるのは、いとしくて仕方のないクダリの未来を奪ってしまっていることではない。クダリを愛しく大切にしたいと思うのと等しく同様に、ノボリは自分が愛しくてたまらない。無償とも思える愛を注いでくれるのに、自分は同等のものを返そうとしない。この寂しい男が拘泥してやまないのは、飽くまでも自分と、片割れだ。ふたりのただならぬ仲が世界に露見するかもしれないという万に一つの可能性を思い描いて、ノボリは恐れおののく。徳に背いていることを糾弾され全てを失うかもしれない自分たちが可哀そうで仕方がない。それを回避するためならば、ふたりの関係が途切れたとしてもいっそ構わない。けれどもクダリを愛し、彼の愛情に報いたいと思っているのも、同様に確かなのだ。そんな堂々巡りを何年も何年も繰り返しているうち、心はぼろぼろになってしまった。
 クダリがノボリのことに関して矢鱈と聡いことは、ノボリも重々承知していた。ノボリの粉々になってしまった心を、クダリはどんな気持ちで掻き抱いているのだろう。終焉へ逃げ出そうとしている自身の心を見透かされているような気がして、身体を重ねているとき、ノボリは気が気ではない。最中に射抜かれるまっすぐな視線に、ノボリは応えることができなくて、誤魔化すように唇をせがむ。そうすると、彼の唇は、甘く優しくノボリの上へと降ってくるのだ。口の中の隅々まで触れて、まるでノボリの隙間を埋めていくかのように。
 背筋を這う甘やかさを誤魔化すように、ノボリは顔を赤くして唇に触れる。同時に、そんな自分がひどく可笑しく感じるのだ。最中に愛された記憶を掘り返しては赤面してしまうのに、一方でどうやって彼と終わらせようかを考えてしまっている自分が。
 自分は、本当にことの終わりを望んでいるのだろうか。それならば自分から終わらせようと一言言えばいいだけのことなのに、どうしてそれをしようとしないのだろう。できることならば自分で切り出すのではなく、クダリの口から全てを終わらせてほしいと願っている。始まりがクダリからならば、終わりも彼の手で齎されるのがいい。
 ノボリは逃げ出したいだけなのだ。身動きがとれなくなった今になって、自らが望んでのめり込んだはずのこの場所から。










*
20130107