「“こうげきしれい”!」
 控え室のモニターがその声を拾ったところまでは、覚えている。いつの間にやら控え室で待機していた私は今何故かソファへ身体を横たえている。白い天井ばかり目に付いた。そうしたのは私ではない。どうしてこうなっている、思索も疎かなうちに鮮やかな萌黄色、その持ち主が視線を遮った。
 氷雪の凝ったような冷たい眼光と対峙する。私は言葉も出せずひとり怯えた。
 彼は平素と変わらない素振りで(違うのはお互いに何も言わないということだけで)、また至って自然なことのように顔を近づけた。不思議と嫌悪感はない。
気がついたら、そう、舌が入っていた。
 拒むことが出来ないだけで、受け入れている訳では決してなかった。だってそう、私は女ではない。
 部屋の中では男二人が絡み合っている。いやな光景だった。交わる口唇は何度も角度を変え、そのたび隙間から吐息が漏れるが、意味のある音は何も伴わない。口の端から誰のものかもわからない唾液がだらしなく垂れた。両手は彼にソファへ縫いとめられて、拭う暇も寄越さない。衝動に突き動かされて彼は貪る。私は甘んじて貪られ、少なからず充足を感じて、いる。声を漏らさないよう必死で息を逃がす私が居た。それは受け入れたということと同義なのに。
(ちがう、)
 情が促すまま獣のように舌を奪い合う。言葉を発することを出来ないのが辛かった。彼と目が合い、首に手が触れ、彼の舌がそうするように私の首へ絡む。サディストまがいの鋭い眼光は私の心臓をさらに加速させた。背筋を何かが這い上がってくるが、絡み合ったままの視線は逸らせない。それは寒気に似た甘い戦慄きだった。
(それはキモチイってことですよ)
 なんとなくそう揶揄されている、ような気がした。
(ちがう、)
 こんなのはいけない。
「僕がスキなんでしょう」
 こんなのは、いけない。言葉の代わりにきつく目を閉じた。


 コンコン。
 響いた軽い音に目を開く。そこには私以外誰も居ない、ごく普通の待合室があった。モニターはいつの間にか消えている。私は先程まで全身を預けていたソファの上で呆然としていた。ああ、終わったのか。
 よくよく考えてみればさっきまで試合が行われていたのだから、この空間に彼が居ることはまずあり得ない。白昼夢にしてはひどい出来だった。感覚は限りなく現実味を帯び、逃げおおせたはずの私を苛んだ。心臓の鼓動は未だ平静を取り戻せてはいない。
 コンコン。
 催促は続く。鍵を開けるとそこには見知った顔があった。
「お疲れ様です」
 永久凍土のような眼光が嘘みたいな(実際あれは脳が勝手に作り出した虚像だったのだけれど)朗らかな笑み。勝ったのだろう。 「勝ちましたよ。ゴヨウさん」
「そうみたいですね」
「……珍しいですね、本読んでないなんて」
 彼の目は、年相応の健全な光をたたえている。そこにさっきまでのサディストは居なかった。
「そうですか?」
 それを残念に思う私だけが、ここ居た。











*****
*反転
はくちゅう-む ―ちう― 3 【白昼夢】
目が覚めている時におこる、夢に似た、現実性を帯びた空想。現実の世界で満たされない事を空想の世界で満たそうとする場合に多い。白日夢。  引用元:大辞林 第二版

根底はノンケなリョウくん←ゴヨウさん

20090523