実際のところ、お前って結構、マゾだろう。





       モラトリアム      







 ええ、貴方が仰るとおり、自分は被虐趣味があると思います。普段言われる、鬼畜だの陰険だの眼鏡(それは非難の言葉に値しないでしょうが)だのは、間違ってはいません。もちろん眼鏡は掛けてますし、年のわりにひん曲がった性格をしているとも認めます。間違っていはいませんが、全てが全て、正解というわけでもありません。――まぁ、他人を虐げるのも至極楽しいことですが、本心では、根本的なところでは、その真逆です。超弩級(ちょうどきゅう)のマゾヒストです。切り捨ててしまえば変態です。こんな私でも、体面がありますので無闇やたらと性癖を晒したりしませんが。隠し事は得意ですから。私の本性を知る人は極端に少ないのです。貴方を含めて、片手の五指で事足りてしまうほどに。逆を言えば、私が羽目をはずせるのはその五人にも満たない人の手前だけ、ということですね。……――――ですから、私がどんな醜態を晒そうと、目を瞑っていてくださいませんか。今日はちょっと、寂しいんですよね、
だから、
「ジェイド、もう黙れ」
 貴方は何もしなくて善いので、ただ私の醜態を誰にも口外しないと約束してくだされば、それでいいんです、だから、
「わかった、わかった。もう痛くしない」

 ジェイドは唐突にキレることがある。それは昔から習慣じみたタイミングで訪れ、そのたびに散々喚き散らして他人を巻き込んで唐突に終わる。
 口数の多いピオニーに喋らせる余地をほとんど与えない、筋の通っていないマシンガントークは、彼が情緒不安定なのだと告げていた。こうなると手の付けようがない。
 ピオニーは、奥底でくすぶっている感情を抑えて、縋ってきた身体を強く抱きしめた。





 今日のジェイドはいつになく挑戦的な顔をしていて、珍しいことに、キスを迫っても逃げなかった。これでどうだ、とベッドへ押し付けてもその表情は変わらない。反応を期待して唇に噛み付いて歯を立てたら、狙っていたとはいえ、その反応が予想外に大げさだったものだから、調子に乗ってしまったのだ。唇の次は首に、その次は耳に、最後には手首に(着衣はいつもの軍服ではなく、上下黒のインナーだけだ。グローブもはめていなければ、ブーツも履いていない)犬歯を突き立て色濃い跡を残した。それでもジェイドは嫌がらずに痛みを享受していた。
「痛い、です」
 そういう風にしているのだから、痛いに決まっている。口では拒みつつ、反応は拒絶のそれではない。こいつは痛いほうが好きだった。また首筋に噛み付き、俺が付けた跡をしつこくなぞる。陛下、とたしなめる様に呼ばれるけれど、声の圧力は全くない。睨み付ける目は普段より、その赤色が深い気がする。
「いいだろ、お前結構、満更でもない癖に」
「今はそんな気分では、ないのです」
「その割には逃げなかったじゃないか」
「痛いのは嫌です」
「違うだろ?」
「優しくして下さい」
 と頑ななジェイドは可愛げのない瞳で睨みあげる。子供のような懇願の視線でもないけれど、大人のような冷徹なそれでもない。嫌悪感と欲求とがせめぎあう眼だった。
 駄目押しに、首筋をゆっくりと舐めあげて、下腹部で輪郭を主張しているそれを布の上から、つい、となぞった。
 びくりと震えて、息が詰まる。指先のそれはまた貪欲に刺激を求めてひくつくけれど、ジェイドの視線は未だ鋭い。

 趣向が変わってしまったのはきっと、あいつの所為だろうと、漠然と思う。思いながらまた、指を蠢かせた。
 吐息が少しずつ余裕をなくして、身体は刺激に合わせて小刻みに揺れる。
「へ、いか。止めて、くださ、い」
 牽制の言葉は途切れ途切れだ。
 これを言うのも今更だが、ジェイドは節操がない。淋しくなれば適当に男を誑かして咥え込む程には。だからこそ、一人に執着することは少ないと、思っていたのだが。
 オレンジの混ざった赤毛と鮮やかな緑の眼。エルドラントに消えた彼。まだこいつは彼を引きずっているのだろう。痛みを嫌がるのは、きっと彼の趣向に感化されてしまったからだ。
「まだお前は、ふっ切れないでいるのか?」
 瞳を覗き込んで問う。潤んでいるのは痛みからではない。すぐばれる嘘をつくなんてらしくなかった。顔をふいと逸らされて視線も外される。少し間を置いて、また視線が絡めば、はっきりと泪が見て取れた。
 ジェイドはそれを隠すように目を伏せて、ゆっくり息を吸う。ああまずいな、と、他人事のように思った。
「ええ、貴方が仰る通り――」



 背中に腕が回される。その手指が衣服越しに突き立てられているから剥がすのも叶わない。子供をあやす様に、ジェイドの額に何度もキスを落とした。絶え間なく寄越されるキスに薄い笑みを浮かべ、目を細める。違和感。こんな、生ぬるくて、恋人じみた行為を嫌がっていた癖に。声に出さず毒づいた。
 そうすると、きっと雰囲気で分かるのだろう、指の拘束が殊更強まった。

 ルークと何があったかは知っている。ルークがどうなったかも知っている。帰ってくる可能性が極端に低いことも知っている(ジェイド自身が何度も言い含めてきたのだから、間違いはないだろう)。
 ジェイドがどうしたいかも知っている。

 ジェイドが求めているのは俺じゃない。タチの悪いことに、自分がルークに依存しているのも、俺がジェイドに執着しているのも知っていて、ルークの身代わりに俺を選んだのだ。

「……陛下」

 上目に視線を寄越してか細く俺を呼ぶ。行為自体は上手くもない癖に、ものの強請り方だけは上出来だった。こんなときでもなければ屈服してしまいたいけれど、あの燃えるような赤髪の面影が邪魔をしてかなわない。
 きっと自分の顔はひどく歪んでいる。
 多分悔しいのだ。何十年かけても――それこそ、四半世紀も――ほぐせなかった蟠りをああも簡単にほぐしてほどいて、掴んでいってしまって。
 彼が帰ってこなければ、と思う。それこそ口に出しはしない。世界を救った英雄の帰還を、素直に望めたらどんなにいいだろう。それができなかった。
 もう、いっそのこと――ジェイドが彼を求めて泣き喚くまえに――早く帰って来いとすら願う。

「陛下、」
 呼ばれるのと同時に、指の圧迫が緩んだ。その隙に腕を引き剥がしてベッドに縫いとめてやると軋む音が下から響いた。ジェイドの顔は、ひどい。痛々しい笑みをたたえたまま、顔を近づけ、キスを求めてくる。

「痛いのは好きですが、嫌なんです」

 言葉が俺の琴線に触れると知っていて、睦言のように繰り返す。


「優しくして下さいね」


 それ以上の言及を許さず唇を塞いだ。
 絡まる舌はいつもより熱いくせに、意識は変に冷めきっている。
 












***** *反転
 私はあなたのモノではありませんよという意思表示。ルークが居なくなって、手近にいた(自分を好いてくれているのを知ってて)ピオ様に助けを求めて縋り付く、そんな腐った根性のおっさん。
 冒頭の長ウザい文が書きたかったのです
2006.10.15