WHO IS HE ?「約束、してたからな」 彼女の頬を泪が辿った。熱に侵されたようにゆっくり、ふらふらりと、彼に歩み寄っていく。 風に棚引かせている長い髪はアッシュのそれを連想させ、その痛んだ毛先はルークのようにも見えた。前髪の癖は、どちらだろう。二年も会ってないと細かい特徴なんて忘れてしまった。 彼がどちらのルークなのか、皆が逡巡するのがわかる。けれどそれは無意味な考察だろう。見た目で判断できる現象ではないのだ。 それよりも、還ってくるのが誰かなんて、答えは出ているのだから。 「――っル、ク」 嗚咽を噛み殺したような細い声は、風に揺られるセレニアのざわめきに掻き消されそうだった。 「ティア」 「あ、あの、ごめんなさい。あなた、を何て、呼んでいいのか、わからなく、て」 「そんなに泣くな。化粧、落ちるぞ」 「だ、って」 「……大丈夫、俺は、“ルーク”だから」 嗚咽が断続的になって彼女はうつむいた。それに駆け寄ったナタリアとアニスと、そこから一歩控えた位置についたガイを見て、彼はまた努めて明るく笑うのだ。 「みんな変わってねぇなあ」 彼は芝居が下手糞だ。そういえばルークもアッシュも下手だったなぁと妙な感慨が沸く。 今まで散々繰り返した計算は、何度やっても同じ数字しか導き出されなかった。それに拠ればルークは帰ってこないらしい。かといって今仲間に囲まれているのはアッシュでもないようだ。数列はどちらも選ばなかった。 それでも還ってきた彼は“ルーク”だ。本物でも贋作でもない彼は、その器が許す限りの記憶を、ふたり分受け継いでいる。身体がどちらであれ、人格はルークでありアッシュである。砕いて言えば、彼はふたりの狭間にあたる存在だ。知る必要があるのはどうやらイチとゼロの間らしい。冗談にしても笑えない。 彼はルークでもありアッシュでもあるけれど、混ざってしまったからこそ、純粋に、どちらかには成れない。 嘘を吐くならもっと完璧に、私にすら気づかれないように吐け――なんて、酷なことを言うようだけれど。 あのとき――崩落寸前のエルドラントで、ローレライを解き放つ直前――にはもうすでに、結末は見えていた。口には出さなかったけれど、きっとルーク自身も勘付いていただろう。それなのに帰ってきて欲しいだなんて酷刑もいいところだ。 ティアの約束を覚えていたルークの記憶は、彼の中だ。中途半端に聡明な彼はどちらの帰還がより望まれているかを量ることができた。そのための手立てはもうすでに持ち合わせているのだから。 帰ってきてください。 もう二年も前の戯言だけれど。いたいけな彼らは未だその言葉に縛られているのだろう。 自身を量る目線に気付いた彼は、私のほうを視線だけで見遣ると、終始微笑んでいた表情を少しだけ崩した。苦笑交じりのそれは、どこまでもルークに似ている。 それに倣って無理にでも笑ってやろうかと思った。明け透けな嘘はそのままにして、何にも触れないでおこう。笑みはどこまでもぎこちなくなった。 「ただいま」 言葉のないまま薄く笑った私に絡むわけでもなく。彼は、ふたりと同じ声で同じ眼で同じ顔で、そう言った。 情けないことに、眼が熱くなってきた。人は年をとると涙腺が緩くなるのかもしれない。流れかけた泪はぎりぎりのところで堰き止めておいた。 か細い水音を立てながら、小川は流れる。 他愛ない言葉を繰り返しながら渓谷を下った。魔物は尻尾すら見せない。眠っているのだろう。 邪魔をするものがいない会話は途切れることなく続いていた。中途半端に間があいてしまったけれど、二年前と全く変わらない雰囲気には懐かしいものがあった。彼は皆に囲まれて二年分の不在を埋めるようにけらけらと笑っている。 まず目先の問題として、宿をどうするか、というのがあった。――それこそ積もる話は山のようにあるけれど、それはふたりきりのときにするとして――ケセドニアまでの道は大して長くないが、時間的に行っても宿は望めまい。かといって他に街は無い。一日中気を張っていた分、疲労はそこそこに溜まっていた。それらの条件のもととなれば、野宿になるのは言わずもがなだ。 適当な場所を探して歩き回り、このへんにするか、とガイが歩みを止めたとき、 「結局野宿なのな」 と、ルークは苦く笑ってみせた。その台詞を聞くのも久しいなぁとつられてガイも笑う。生温い空気が流れた。懐かしいと思う反面で、漠然と彼の内面を探っていた。 彼はルークでいいのだろうか。今更なことを何度も反芻して考える。 焚き木はとっくに炭になっている。粉々のそれを風が飛ばすのが目に入った。 「起きてるか?」 四人分の寝息に混じって、隣から囁く声がある。ルークだ。いつも真っ先に寝ているくせに、無理に意識を保って膝を抱えて、どこかを見つめていた。 「まぁ一応、起きています」 っていうかジェイドって寝てんの? と茶化された。いい度胸だ。 「それはいいとしてさ」私が切り返すより前に、やや口早に話し始める。 「ちょっと頼みがあるんだけど」 「……面倒な事は却下しますが」 「……ジェイドはもう気付いてんだろ? 皆には絶対言うなよ」 「ええ、分かっていますよ」 主語を失くした会話は短く途切れた。下手に聞き耳でも立てられていればたちまち質問攻めにあう。四種類の寝息が規則的に続いているのが聞き取れたので、それは杞憂だけれど。 「明日はどうします?」 「色んな人に会いに行くよ。父上、母上、伯父上とかピオニー陛下とか。漆黒の翼、ギンジ、ノエルとか、あと、ミュウとか。バチカルへ行ったら当分抜け出せないだろうから、まず皆に会って、それからだ。ノエルにアルビオール借りて……ってまだあんのかな、アレ」 「そちらの心配は要らないと思いますよ。それよりも、貴方のお母様からどうやって放していただこうか、考えた方がいいんじゃないですか」 「だよなぁ。結構死活問題だぞ、コレ」 そういう自覚はあるのだろう。半ば本気で悩むような素振りをしてみせた。よく見知った動きをする彼は、髪が長いことを除けば、ルークそのものなのだろうか。 「それより前に……変なことを聞くようですが、……貴方のことをどう説明するつもりです?」 瞬間、年相応に細くなった目が、大きく見開かれた。 「そんなの心配することじゃないって」 そして二年前と変わらない笑みでもって言うのだ。 「俺はこれからもルークなんだから」 風は髪を乱して空気を攫って、流れる。見遣った焼け跡には何も残っていなかった。 風に棚引かせた赤い髪は、間違いなくルークのそれだ。 生まれたばかりの彼を、月が白々しく照らしている。 *****
*反転
還って来た彼はルークでもアッシュでもなさそう、というのが持論です。 アッシュ七割五分、ルーク二割五分。でもつとめてルークっぽく振舞うんだ。それに気づいてる複雑な心持の大佐。生前のルクジェをまた別の話で書きたいです。 2006.10.31 |